第二章 狂夜


 ブラック・H・ハートは暗殺者である。
 剣に秀でた者が剣士と呼ばれ、知識に秀でた者が賢者と呼ばれるならば……暗殺技能に秀でた人殺しは暗殺者だ。もしどんな出来損ないの暗殺者だったとしても、それしか取り柄が無いのであればそう呼ぶしかない。実際、彼にはそれ位しか取り柄が無いように思えた。

「ブラック・H・ハート……黒き心臓……」

 傾き、山間へ消えゆこうとする夕陽を窓越しに見つめながら、ダミアン・レイスは独り呟いた。三十代前半、灰色のスーツを微塵の隙も皺も無く着こなしている、冷徹そうな表情をした男。テラスへと続く大きなガラス戸にそっと手を置き、深く物思いに耽っている。

「冷酷無慈悲な大量虐殺者。常に血にまみれ、闘争を追い続ける…己の命が果てるまで。黒の家号を受け継ぐ者に、とどまることは許されない……」

 ちらと背後のデスクを見、その上に置かれたファイル・ケースへと手を伸ばす。
 ラベルには『連続通り魔殺人事件概要及び詳細資料【複写】』とあった。

「私は彼に、戦いの場を提供する。依頼という形で。今晩は……"辻斬り退治"」

コンコン

 と、聞きなれた調子でドアがノックされる。

「市長、そろそろ会食のお時間ですが」

 これも聞きなれた、彼の秘書の声。

「ああ…今行く」

 ほんの僅か、名残惜しそうに夕陽を見つめて、ダミアンはくるりと窓に背を向けた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「……どうだ?」

 くっくっと喉の奥で笑い、羽織袴の男が嬉しそうに目口の端を持ち上げる。
 その眼下には血塗れの人間。右肩から先をすっぱり切り落とされてうつ伏せに倒れている。

「真打村正で斬り殺されるのだ…光栄に思わねばな」

 右手に提げていた日本刀を空へ掲げ、月明かりに照らす。曇った刀身が鈍く輝いた。

「さぁ、そろそろ生きるのも辛くなってきただろう……貴様の命を、吸わせて貰うぞ」

 順手のまま、男が刀の切っ先を下方へ向ける。倒れ伏して痙攣している人間の頭の真上へ。

「最早声も聞こえぬか…不甲斐ない男だった……全く」

 顔をこれでもかという程醜く歪め、侮蔑の視線を投げつける。

どづっ

 深々と突き刺さる刀。一度跳ねて動かなくなる人間。

「所詮この程度か」

 毒でも吐き捨てるかのように言い、こじるようにして切っ先を頭蓋から引き抜く。
 と、ふと気付いたように…手元の刀へ視線をやり、

「…ああ、判っている……まだ喰い足りないのだろう?」

 にやりと笑うと、抜き身の刀をだらりと提げた。

「新しい『餌』が来た。それも極上品だ……見ろ」

 いつのまにか、眼前に黒づくめの男が現れていた。葬式帰りなのか、上も下も真っ黒いスーツ姿の男だ。髪も瞳も靴も黒。

「夜はまだこれからだ……貴様が飽きるまで吸わせてやるさ」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 夜風に混じって悲鳴を聞いたような気がして……ブラック・H・ハートはぴたりと足を止めた。
 ぐるりとあたりを見回してみても、見えたのは通りの両脇にそびえる建物ばかり。もっとも既に街灯の火が落ちていた為、はっきり見える範囲などたかが知れたものだったが。

「………ふむ」

 どうしたものかと思案を巡らせる。
 今のが通り魔に襲われた誰かの悲鳴なのか、それとも屋根から落っこちた猫の悲鳴なのか…はたまた通り魔に襲われた猫の悲鳴だったのか。今の段階ではどれも確証は無いのだが、どうにも"また"肩すかしを食らわされるような気がしてしようがなかった。
 とはいえ、もし本当に誰かが襲われているのだとして、それを無視したとしたら……洒落になる話では無いのは確かか。

(ったく、通り魔を退治するだけだと思ってたら……この街は広すぎるんだよ!!)

 誰に向けるでも無く胸中で叱責を飛ばし、ブラックは悲鳴が聞こえてきたであろう方向へと駆けだした。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「刎ッ!!」

じゃかぁっ

 気合いの声と共に繰り出された斬撃が建物の壁を抉り、それでも勢いを失わずに空を薙いでいく。高々と上る月の光を受け、切っ先は夜闇に銀の軌跡を残していった……。

「ほう、身のこなしだけは良い様だな……青年」

 刀を振りきった姿勢のまま、顔をぐるりと背後へ向けて男が言ってくる。
 赤茶色の羽織袴姿の、いかつい顔立ちをした男。年齢は三十後半といったところだろうか。かなりの長身で、体格もがっしりしている。
 男の手に握られているのは日本刀という舶来の剣……侍という人種が愛用する反り身の片刃刀。いでたちからしても、男は"そう"なのだろう。まぁ、考えるまでも無く。

「あ、ありがとうございます……」

 地面に転がりつつ、黒づくめの青年が情けない声を漏らす。漆黒のスーツに黒いシルクのシャツ、髪の色は黒、瞳の色も黒-----唯一黒色で無い所は肌の色のみ。体格は中肉中背で、これと言った特徴の無い風体をしている。

「…今のは皮肉だ」

じゃっ…

 放たれた言葉を追いかけるように、剣閃が走る。
 青年は咄嗟に身体をよじって避けようとしたが、それよりも速く切っ先が右肩を撫でていった。ごく浅くだが、それでも耐え難い激痛が肩を襲う。

「……っ!!」

 転げるように逃げようとした所を斬りつけられて、支えを失った身体が地面に倒れる。顔から突っ伏すようにうつ伏せに倒れこみ、そしてそのまま-----背中を男に踏みつけられた。

「……………」

 何とかして見上げた視界の端に、無言で…残忍に笑いながら刀を振り上げる男の姿が見える………。

(そんな………!!)

 逃れようと必死にもがくが、男の足はがっちりと身体を押さえつけて外れようとしない。
 無力な自分を呪いつつ、"彼女"は刀が振り下ろされる前に目を閉じた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


がっ!

 石………拳大の石。それが刀の腹へ強烈にぶち当たり、振り下ろされる軌道を大きく逸らす。

「何だ………っ」

 呻く侍。踏みつけている青年の耳をかすめた切っ先を引き戻し、咄嗟に石が飛んできた方向へ振り向く。と、その眼前に再び飛来する石礫つぶてが見え……

「………!!」

がっっ

 先程よりも強烈な衝撃が刀身に叩き付けられる。切っ先が大きく弾けるように傾ぎ、その勢いのまま男の後方へ吹き飛ばされた。月光を浴びて煌めきながら刀は空中で数回転して、どすんと、硬い石畳に深々と突き立つ。

「いったい何をしてる……」

 刀を失い呆然と立ち尽くす男の前に、一つの人影が姿を現す。上も下も内着も黒づくめの、およそ二十過ぎ位の男。"漆黒のスーツに黒いシルクのシャツ、髪の色は黒、瞳の色も黒-----唯一黒色で無い所は肌の色のみ。体格は中肉中背で、これと言った特徴の無い体つきをしている。"

「………!!??」

 侍がその"闖入者ちんにゅうしゃ"の姿と……足下の"青年"を見比べ、ぎょっとして声を上げた。二人はまるで双子か写身のように、まったく瓜二つの容貌をしていたのだ。もし違いがあるとすれば表情……足下の青年は恐怖を露わにしているのに対して、闖入者は完璧なまでの冷たい無表情だという位か。

「何だ……貴様等は…」

 が、そんな侍の事は無視して、闖入者は青年へと話しかける。

「オレは『見つけたら報告しろ』と言った筈だぞ」

 怜悧な声。刺し貫かれるように冷たく澄んだ声。
 いまだ男の片足に踏まれたまま、びくっと青年が震え、恐る恐る顔を上げる。
 闖入者の男と寸分違わぬ端正な顔が、気弱そうな笑みを浮かべた。

「あ、あははは………」

 引きつった笑い。咎められるのを待つ子供のような。
 それを見た闖入者は一度嘆息し、苦々しい口調で言った。

「……まぁ、良い。とりあえず『戻れ』」

「………はい」

 青年が頷いた。刹那……

「私の話を……」

 侍が動く。ほんの一瞬のうちに背後に突き立っている刀の柄を後ろ手に掴み、引き抜きざま頭上へと振り上げる。そして最上段に構えた後、重量と膂力に任せて振り下ろす……青年の脳天へと。

「聞けぇっっっ!!」

どがぁっ

 激しく地面に叩き付けられ、石畳を抉るように粉砕する斬撃。空より降る雷鳴の如き神速の一撃は、青年の頭蓋を狙い違わず真一文字に叩き割っていた。

どろぉ……

 ばっくりと割れた傷口から、何かどす黒いものが溢れるように流れ出してくる。

「……次は貴様だ」

 にぃ…と残忍に笑い、侍が闖入者へ言う。

「………」

 対する闖入者はそれを無言で受け止め、じっと、頭をかち割られた青年の方を見つめていた。
 そんな様子が気にいらなかったのだろう、侍は眉間に皺を寄せ、いかめしい顔つきで切っ先を闖入者へ突きつけた。

 ……いや。  突きつけようとした。が……出来なかった。
 青年の頭に食い込んでいる刀が、地面に深くめり込んだのか微動だにしない。

「……何ぃ……」

 そして自分の手元を見た侍が絶句する。
 死んだ筈の、叩き割った筈の青年の頭。そこから流れ出していたどす黒い液状の何かが、刀の先にねっとりと絡みついていたのだ。
 まるでそこだけ蝋でで固めたようにがっちりと固定され、幾ら力を入れても引き抜く事が出来ない。悪夢を見ているのか………あまりにも異質な状況に気勢が挫かれそうになる。

≪ああ…折角上手に真似出来ていたのに。勿体ない…≫

 声なき声が侍の頭に直接響く。耐えきれなくなり、刀を捨て、脇差を引き抜いて再度青年の頭を叩き割ろうと振り上げた。

「『戻れ!!』」

ぶぁっ-----

 闖入者が高らかに声をあげると同時、青年の全身が蒸発するように四散する。
 虚しく地面を叩く侍の斬撃。
 青年はまさしく漆黒の霧となり、風に吹かれる煙のように散り散りになって消えていた。
 侍の刀が束縛を失って傾ぎ、からぁん……と澄んだ音をたてて転がる。

「………ふ…ふはははは………そうか、そういう事か………」

 そこで……侍はようやく気付いた様だった。
 肩を震わせ憎々しげに…だがどこか愉しげに笑いながら、脇差しを納めて刀を拾う。
 無造作に右手に刀を提げ、侍は闖入者へ正対し、言った。

「魔術……魔術士か、貴様」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「そうかそうか、貴様……魔術士か」

 日本刀の切っ先をこちらへ突きつけ、なにやら楽しそうに侍が言ってくる。無骨でいかつい顔を愉悦の色 に染め、喉の奥から出てきたようなくぐもった笑い声と一緒に。

「まさか魔術士をこの手に掛けられる日が来ようとはな。一度そのご高名がいかほどのものか、確かめたいと思っていた所だ」

 魔術士とは言わずもがな、魔術という超常の術を使役する特殊技能者を指す。己の意志と魔力をもって世界物理法則を超越し、限定空間内に独自の法則性を描き出す術を会得した者達。その威力は鋼の鉄槌の破壊力を軽く凌駕し、いかなる盾鎧も叶わない鉄壁の守りを作り出す事が出来ると言われている。人の持てる最強の力はかの『七振りの魔剣』では無く魔術だと公言する者さえいるが、おそらくその話は正しいだろう。
 その力の強大さゆえに、魔術士の絶対数というのは大陸の総人口に比べればほんの僅かしかない。割合にすれば百人にひとり-----いや、ひょっとしたら千人にひとりだろうか。とにかく、普段街を歩いていてすれ違える程に"いる"訳では無い種族だ、魔術士というものは。

「………あのな」

 こちらを爛々と輝く瞳でひたと見据えている侍に向けて、ブラックが初めて言葉を投げる。

「言っておくが、オレは魔術士じゃ無いぜ。魔術なんて使えないし-----ミスティックタトゥも無い。ただの人間さ」

 言いながらスーツの胸元をはだけ、シャツの襟をまくって首筋を露わにする。魔術士は首筋に独特の紋様(タトゥ)を刻み込み、それを"魔術士の紋様"(ミスティックタトゥ)と呼んでいる。ブラックの首筋の肌は、まったく普通の肌色だった。

「な?」

 顔を斜めに傾けながら、にやりと笑ってみせる。

 が、侍は動じた風もなく、口の端を歪めて笑みを更に深くした。

「信じると思うか?」

 …………このカタブツ野郎。
 胸中で毒づく。瞬間更に酷い罵倒の言葉が幾つも思い浮かんだが、それらは押し留めて頭の隅のほうに追いやった。ここでこの男と悪口合戦をやっても意味が無いし、何よりちっとも面白くない。

「……やっぱ駄目?」

 ブラックは侮蔑するような憎らしい顔で、侍に笑みを返した。
 笑いながらも意識を鋭利に尖らせ、淡々と静かに張りつめさせていく。

ちゃき

 日本刀の鍔が鳴る。侍が握りを正したようだ。

「……無論…」

(…………)

 大体その先にどんな台詞が続くかは予想できる。ブラックは一度瞑目するように両目をつむり、

(…俺はブラック・H・ハート…)

 ぎっ、と両の拳をかたく握る。筋肉がざわめき、骨が軋んだ。

(黒き・辛辣なる・心臓。心臓。心臓)

 心臓。三度繰り返してびっと目を開ける。
 双眸にナイフのような危険な鋭さが宿り、つり上がった双眸が冷たく標的を見据えた。
 通りの真ん中で無造作に棒立ちのまま、ブラックは右手でクイと侍に手で合図をした。

「来いよ、返り討ちだ」

「よくぞ言った…!!」

びゅっっ!!

 待ちかねたように侍が動く。獣のような俊敏さで刀の間合いまで接近し、間髪入れず袈裟懸けに右上段から斬りつける。

「んな……」

「殺ったぁ……っ!」

 切っ先はすでにブラックの左肩に食い込み肉を裂きはじめていた。傷口を見下ろしたまま動けないでいる彼の身体を、村正の刃がやすやすと断ち割っていく。
 ついには刀は完全に通り抜け、彼は肩口から斜めにすっぱりと両断されていた。どざどざ、と分かたれた上体と下半身が地面に倒れ込んでいく。

「フン、若造め……」

 と、吐き捨て刀を納めようとした侍の背後に、湧くようにして新たな気配が生まれる。

「……甘いわ!!」

 それを察知した侍は咄嗟に振り返り、遠心力を利用した胴薙ぎを背後の気配へ向けて放った。

どずぅん!

 と、岩を布団にくるんで殴りつけたような重い打撃音がこだまする。
 ぎりり…と受け止められた刀を更に押しやりながら、侍はそこに居たブラックに低い声音で問いかけた。

「これが魔術で無くて何とする、若造よ…」

 侍の刀は、ブラックの掌から染み出ている漆黒の霧によって受け止められていた。侍が幾ら力をこめて刀を押してもビクともしないところからして、並外れた-----というのもおかしいだろうが-----硬度と質量を有したモノなのだろう。実際今の斬撃は岩盤すら切り裂く程の威力があったはずだ。

 ブラックは、ヘッ……と薄く笑うと、

「だから魔術じゃねぇっての」

 刀を防いでいるのとは反対の手を、顔の高さまで持ち上げる。

ぶぁっ……………

 瞬間、ブラックの掌が霧に包まれ……

「オレは"外法召喚術士"、ブラック・H・ハートだ」

 湧きだした膨大な闇が命を持ったようにうねり、侍へと殺到した。


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