9.それぞれの救済 その闇にとっては、純白の退魔の極致も、強力無比な魔術の衝撃も、まったくの無意味だった。 純白はその色の全てを闇に吸い取られ、無色の衝撃は闇の表面に触れただけであっさりと霧散していく。 激突の衝撃も轟音も無かった。ただ風が、壁に行き着いて何処かへ消えてしまったような、そんな様だった。 「……クルスニク」 「―――――ブラック」 馴染みの深い二人だからこそ、それが何であるかは考えるまでもなく判る。 その闇こそが彼。ユダに匹敵する魔力を持ち、教会より異端と嫌忌されている闇色の 神父と少年、二人の鋭い視線に挟み射られながら、闇はどんよりと蠢いて人型の輪郭にまとまろうとしていた。 「また手前か……ヴァイゼ」 いち早く実体化したブラックの貌。闇の中にぽんと浮いているその貌が、苛立たしげに眉端をつり上げてヴァイゼを見る。 ひどく異質な光景だったが、ヴァイゼにとっては見慣れた光景だった。過去幾度もこうして穏やかならない対峙を果たしてきている。 「――お互い様でしょう」 冷ややかに、ヴァイゼはブラックへ言い返した。剣の構えは解いていない。きっかけさえあればいつでもブラックへと転身するだろう。 同じ"ユダを狩る者"でありながら、二人は絶対に交わらない。教会と異端、聖騎士と魔術師、そしてそれぞれが胸に抱く"それぞれの救済"。 救済。その点において、ブラックとヴァイゼは決して交わることはない。 「そうだな。で……」 ブラックは全身を実体化し終え、闇色の衣服に身を包んで街路の上に現れた。およそ魔術師らしからない若者然とした服装。主立った武器は持たず――ナイフ等は仕込んであるのだが――まるで散歩に出て来たかのような身軽さだ。 苛々と、息苦しさをはね退ける様に襟元を引っ張る。眉を上げたまま、ヴァイゼと正対し、少年に背を向けた。 「……まさか、俺と殺る気じゃねえよな」 ぎらり、とブラックの深紅の双眸が輝きを増した。 怒気を孕み殺気を孕み、その視線と言葉は不可視無形の刃としてヴァイゼを射貫いた。常人なら正気を失う程の威圧、だがヴァイゼは平然とそれを受け止める。 教会聖騎士の格は伊達ではない。苛烈な修練と幾多の死線を超え、今のヴァイゼ=シュヴァルツァーが在るのだから。 だが――― キン、と納剣の鞘音が鳴った。ヴァイゼはブラックを真っ直ぐに見据えたまま、自分の剣を鞘に納めていた。 「―――今の気力では貴方を倒しきれない」 "聖剣"を発動させると所持者は代償として体力を大幅に奪われる。ヴァイゼにとって戦闘に支障が出る程の疲労ではないが、それでも彼の眼前に立つ魔術師の力量を考えれば致命的な損失と言えた。故に―――退く。 「ユダは全て処断すべきだ。私は貴方のやり方を認めない。いずれ、改めさせる」 それはまるで呪詛のようにブラックに投げかけられた。 法衣がたなびく。神父はまるで剣のように、微塵の隙もなく毅然と去っていく。 闇に溶けていくその後姿を見て、ブラックは険しく愉しげな笑みを浮かべた。 「上等」 挑発的に後姿へ投げかける。 ややすると神父は完全に闇の向こうへ消えた。 「……さってと」 見送りを終えて、ブラックは顔を振り向かせて背後へ視線を移した。 少年が倒れている。地べたにうつ伏せに、気を失って弱々しい呼吸だけをして。彼の身体にはもはや微塵も魔力が残っていない。無茶な魔術行使のおかげで彼の肉体の内面はズタズタでがらんどうだった。 それを、担ぎ上げる。 「あとは花屋か。置き去りにはできねえしな」 ひどく軽い身体を肩に載せて、ブラックは街路をやって来た方へと歩き出した。 ひとまずは、この子供とあの娘を店まで連れ帰れば、今日の仕事はお終いだ。死人の処理は警察と教会が処理する。教会の手によって「ここ二日の事件は通り魔の犯行だった」とでも偽装されるだろう。裏工作によってユダの存在は決して表沙汰にはならない。 「あとは―――そうだな。眠い…えらく眠い」 そう言って、あくびをひとつ。 花屋の娘は地べたにころんと寝ていた。もとい、気絶していた。なにか悪夢でも見ているのかひどくうなされている。 起こさないようゆっくりと、肩に担ぎ上げる。こちらは少年よりか幾分重いようだった。 が、ブラックにとっては大した違いではない。彼は人間ふたりを担いだまま、あー眠い眠いとぼやきながらノーザンフォールへとトコトコ歩いて行った。 >>>Next 終章
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