8.白銀の聖騎士 銀の剣閃が走る。煌々と降る月の光を身に受けて、それはまさしく閃光と呼ぶに相応しい軌跡を刻んでいく。 目視すら適わない神速の斬撃。ひとたび受ければ骨ごと断ち割られるであろう強烈な剣圧。それを顔色ひとつ変えず振るっているのは、女性のように華奢で痩せた顔立ちをした、少年と大差ない年頃の若い神父―――。 「く……っ!」 少年が唸る。ヴァイゼの剣撃はそのどれもが必殺。いかに魔力を用いて防ごうとも、暴風のごとき剣圧は容易く防御を突き抜けてこの身を裂くだろう。 ゆえに退く。ヴァイゼが踏み込んだ分、剣が伸びた分だけを退く。全てギリギリ、切っ先が鼻先をかすめる程の最低限の後退。一撃一撃を紙一重でかわしきり、生まれた余裕を次に備える身構えにあてなければ、この連なる斬撃はかわしきれない。 ぱたたっ――――― 少年には反撃に転じられない理由がある。胸を貫いた剣傷。魔術をもってしても癒やせぬその傷は、強制的に補填した肉の隙間からじわりじわりと血を滲み出させていた。 教会で祝福を受けた剣は強力な退魔力を持つ聖剣となる。悪魔幽霊、鬼族、吸血種、そしてユダ、これら魔の眷属は自然に備える魔力で不死性を得ているが、聖剣の加護はその魔力を消失させる効果を持つ。触れただけで魔力を奪い、創傷を癒すことは出来ず、深手を負えばそのまま死ぬ。 胸の傷口は塞がった。だが癒えてはいない。詰め物をしただけで、傷口そのものはばっくりと開いたままになっている。 じゃっ―――!! 飛び掛る蛇を連想させる鋭い斬撃が続く。銀剣の光沢は冷たく、神父の双眸も冷たく、夜の薄明かりの中に蠢動のような薄い軌跡を残して過ぎる。 剣は少年の眉間をかすめ損ねて空転した。暴風のような剣圧が前髪を揺らす。 斬撃の速さ、狙いの的確さ、身裁きの迅さ、ヴァイゼの剣士としての力量はユダとなった少年にさえ怖気を抱かせる。おそらくは過去何人ものユダをこの剣技で処断してきたのだろう。この若さで、というのは信じがたいが、今相対している彼を前にそんな概念は通用しない。 返す刃が少年の首元を狙う。深く踏み込み、少年が後退する距離まで間合いに含めた周到な一撃。 「………っっ!」 後退した位置から更に伸びた切っ先。少年は剣圧に圧されるように上体を仰け反らせ、それでもまだ足りないと即断して爪先で地面を蹴った。 重心が定まらない姿勢からの移動である。足がもつれる、などという無様な真似はなかったものの、それによってそれまで続いていた膠着に致命的な破綻が現れることになった。 顎の下を剣の切っ先が通り過ぎる。その瞬間、少年は剣を躱せたという充足感を味わった。 その充足感が消えぬままほんの短い距離の低い跳躍を終えて、少年は自らが犯してしまった致命的な失態に気が付いた。 「………」 ヴァイゼが少年を見つめている。剣を右手に提げ、下肢をすっくと伸ばして。 二人の距離はおよそ4メートル。剣の間合いを考慮に入れて、それまで保っていた間合いが3メートル。ここに来て1メートルの余分な間合いが生じた事になる。 剣と魔術。この二つの執る戦い方は両極だ。至近戦で最大威力を発揮する剣と、遠距離戦で最大効果を発揮する魔術。 距離が開けば、魔術使いである少年に分が傾く。そのはずなのだが―――少年の表情は重く、痛みを噛み締めるように強張っていた。 何故か。答えを導くのは簡単だ。彼は 「………チィ」 苛立たしげに、皮肉気に、少年が立ち止まったまま姿勢を正す。熱を持った身体が胸の傷の痛みをじくりと疼かせたが、それは魔力によって強制的に抑え込まれた。 1メートルの差分。明確に何かはわからない。だが予兆めいたものが告げる。危険だと。 前後左右、上空も含めて、どの方向に退避しても迎える結果は同じだと少年は直感していた。状況を打破するために導かれた対策はひとつ、全力を用いていかなる攻め手であろうと防ぎきる。 ここにきて、少年は身体に残っていた魔力の全てを呼び起こした。 ざわっ―――!! 少年を中心に風が巻き上がる。 魔術行使の序段となる魔力練成。体内の魔力に意思を通すそれだけの行為で、実世界の空気が反駁して気流を巻いた。 生粋の魔術師たるユダ、その血が秘める膨大な量の魔力。熱くたぎる血潮は少年の体内で苛烈に燃え上がり、人の身には有り余る程の魔力量を彼に供給する。 「………」 対するヴァイゼは、じっと少年を見据えたまま、剣の刀身に左手をそっと添えた。鮮やかな銀の刃に白磁のような指が触れる。 そして短く呟く。 「 理解できない発音、理解できない韻律。それは教会だけに伝わる、今はもう忘れ去られた古語。 解放の意味を持つその単語は、言葉として発せられた時点より力持つ言霊となった。 かっ――――――! 銀剣が輝く。言霊に呼び起こされ発現したのは純白の光。迸る光は剣より発せられ剣に収束し、まるで炎のような濃密な揺らぎとなって刀身を覆う。 「……聖剣でありながら魔の業も背負わせたか。つくづく貴様らは、見境が無い」 剣に集まった純白の光、それが何であるか少年は知らないが、予想は容易に出来た。退魔力だ。剣自体が持つものよりケタ違いに強力な退魔力の加護。それが魔術の技法のひとつ"増幅"によって視認出来るほどの濃さに凝り固まっている。 魔力と退魔力は相克する。にもかかわらず剣は双極の歯車を同時に回し、ひとつの術式として稼動させている。 あさましいことよ、と少年は皮肉気に嗤った。 「ではゆこうか、聖騎士よ。その灯り、いかに美しくとも僕らが浴びるにはいささか強すぎる」 す、と少年の右手が上がる。それと同時に、す、と少年の目が細められる。 応じて、ヴァイゼも純白を纏った剣を両手で構えなおした。構えは正眼、それまで構えらしい構えを取らなかった彼が、ここに来てようやく整った構えを見せる。 空気が張り詰める。放つ次手は互いに必殺の極致。それぞれは同時に、この戦いの終結へ向けた詠唱を開始した。 「根源から来たる」 「――――― 詠唱に呼応して、少年の周囲で嵐の如く風が荒れ狂う。 ヴァイゼは吹きつける突風に微塵も揺らがず、白炎に包まれた剣を上段へと振り上げた。 「龍の咆哮!」 「 放たれたものは、 かたや、無色。少年の掌が撃ち放ったのは目に見えぬ"大気の破裂"。風でも嵐でもなく、ただ破壊するためだけの衝撃波となった魔術がヴァイゼへと殺到する。 かたや、純白。ヴァイゼの剣が撃ち放ったのは目に見える程凝固した"退魔の加護"。実世界において現象と化した白き力は、一刃の閃光となって少年へと疾駆した。 両者の距離はたったの4メートル。その短い距離を二つの力は一瞬で踏破し、およそ中間の位置で激突を――― ―――――ゆらり するはずだった。 唐突に地面からのぼったそれは"闇"。煙のように湧き、夜闇の中で明確な"闇"としての輪郭を描く。 無色と純白、二つの力は、その"闇"を挟んで予想外の激突を果たした。 「……クルスニク」 「―――――ブラック」 馴染みの深い二人だからこそ、それが何であるかは考えるまでもなく判ることだった。 長い夜はいまだ終わりを迎えない。 >>>Next 『9.それぞれの救済』
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