6.戦闘開始 (……どうしたもんかな) "標的"を目の前にして、ブラックはこの寸詰まりの状況に対して胸中で愚痴を吐いた。 今まで、しこたま街を探し回った。九時に店を出たのだから、四時間ほどか。それだけこのデカイ街を歩き回って、見つからなくて、諦めて店に帰ろうとしたら、店の前がまた血の海だ。会えずじまいよりは会えたほうが嬉しいが、また被害が増えてしまっては、胸糞が悪くなる思いしか湧かない。おまけに (人質…って "標的"の少年の足元には、女が背中を向けてへたりと座っていた。狐の尻尾のようなクセのある黒髪。記憶の引出しを探る――見覚えがある。花屋の売り娘だ。 少年の右手が女の首筋に当てられている。首をへし折る気か、それとも喉をかき切る気か。 とりあえずこちらの素性を名乗ったおかげで状況は膠着した。あとはここからどう上手く事を運ぶかだ。彼女を生かし、なおかつ少年を――殺すためには、どうすれば良いか。 「クルスニク……」 と、今しがた名乗ったその名前を、少年が独り言とも返事ともつかない無意識に漏らしたような声音で反芻した。 「……ユダ殺しの異端者か」 ぴくり。ブラックの耳が跳ねるようにそば立った。 少年の声音が小さかったのは、独り言でも返事でも、無意識の反芻でもなかった。"思い出していた"のだ。自分にまつわる情報を、クルスニクという存在にまつわる情報を、己の"血"から。 「その通りだよ」 それに気付いた時、ブラックは腹の底のほうに小さな炎が灯ったのを感じた。痛みを伴う、針で突いたような鋭い熱さ。 そして無意識に気勢が尖る。鋭く、冷たく、激しく。ヴェールが上がるように、身体の中のテンションがすっと険しくなる。 「そこまで血が濃くなってきてるなら、とっとと始末したほうが良さそうだ」 自制がきかなくなってきている。押し止めることが出来ない。溢れているのはたったひとつ、熱情のような殺意。 ひたすらに自分を駆り立てる衝動に背中を圧されて、ブラックは状況も構わず、跳んだ。 「なっ……!?」 とは、少年の声。こちらから仕掛けるとは思わなかったのか、呆然と跳躍した軌道を目で追っている。 その顔に、落下の勢いを乗せたブラックの拳が突き立った。 小柄な少年は勢い良く吹き飛び、少年が居た位置に女を飛び越えてブラックが着地する。彼女への気遣いは後回しに、ブラックは間髪入れず少年を追い駆けた。 「このっ!」 吹き飛ばさた少年は、常人ではあり得ない動きでぐるりと翻り、通りの上に両手足をついて着地した。即座に応戦する構えを取り、疾駆するブラックを深紅の瞳で見据える。 宝石のような透き通った少年の双眸が、ぎらりと燃えるように輝いた。 (魔眼……!) 視線を送った対象を支配する魅了の呪術。彼らが扱う魔術のひとつ。 目を逸らせば術は効かない。だがそれは相手に攻撃の隙を与えることになる。ブラックは構わず突き進んだ。左手の袖口からスローイングダガーぽとりと落ち、掌の中におさまる。手首の力だけでそれを少年の顔面へ向け投擲する。 少年は口惜しげに唸りながら、飛来するダガーへ視線を転じた。 ばちっっっ 火花を散らし、ダガーが空中で跳ねる。勢いを失ったダガーは乾いた音を立てて石畳の上に転がった。 魔眼の支配は生命の有無を問わない。彼らは金属さえ一時的とはいえ支配できる。 (物質支配まで出来るかよ……随分進行してやがるな) 胸中で唸りながら、少年へひた走る。さほど距離が開いたわけではないので接触するのはすぐだった。至近距離の戦いなら体格で勝るこちらに分がある。 真っ向から迎え撃つ体勢の少年へ向け、ブラックは疾駆した勢いを乗せて右拳を突き出した。 次の瞬間、ブラックは天地逆さまになって宙を舞っていた。 「なにぃぃぃっ!?」 あまりにも一瞬すぎてわけがわからない。なんらかの魔術が働いたことは間違いないが――。 身体を捻って少年を見る。少年の周囲の空気が陽炎のように揺らめいていた。 (空間を支配して俺を持ち上げただと!? 冗談だろ!) 魔眼は生物支配より物質支配が難しく、空間支配は物質支配のさらに何倍も難しい。その空間支配を血に目覚めて数日しか経ってない赤ん坊が使えるなど、今まで見たことも聞いたことも無い。 (く……。とにかく着地しないと。頭から落ちたら洒落にならねえ) 体勢を上下反転させようと膝を丸めた時だった。丸まった背中に、どん!と丸太でも激突したような凄まじい衝撃が叩き込まれた。背骨が軋む音が聞こえ、肋骨が軋む音が聞こえ、筋肉がひずむ音が聞こえた。感覚的にそれから遅れること数泊、ブラックは見えない衝撃に横殴りにされた格好で、通りの上をホームラン・ボールのように吹き飛んでいった。 「く……ぁ」 激痛と衝撃に何もかもを揺さぶられて、ブラックの意識は空中でぷつりと途切れた。 >>>Next 『7.渇望』
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