「・・・話がある」

返ってきたコトバは、実に淡泊なものだった。

それは、昔から変わっていない。
彼・・・夜叉をを形作るファクターの一つ。

無愛想なのは、どうやら血筋らしい。
ユミルだけは例外だが。

「話・・・だと?」

へっ・・・!
笑う。
目端を釣り上げ唇を歪ませて、心底嫌そうに。

「出来損ないのオレをとことん毛嫌いしてたクソ真面目なあんたが、
 家を捨てて逃げ出したオレに、いったい何の話があるってんだ?
 親父でも死んだってか? 」

「・・・・・」

・・・・・沈黙。

ふいに、それまで圧倒的だった夜叉の気配が、
まるで風船がしぼむように薄れていった。
そしてそれと一緒に気力までもが抜け出たように、
彼の存在がだんだんと希薄になってきている。
それまでらせつの喉元に添えていた刃はゆっくりと下ろされ、
かわりに夜叉の手のひらが右肩に乗せられた。

「おい・・・どうしたんだ?」

怪訝そうに夜叉のほうへ振り返り、らせつが尋ねる。

そして・・・兄の顔をみたらせつは、絶句した。

「変わらないんだな、オマエは・・・らせつ」

兄は・・・夜叉は、涙を流していた。
夜闇によって陰ってはいたが、僅かな月明かりが涙を輝かせている。
絶句したのは・・・兄が泣くところなど見たことがなかったからだ。

「正直言って、オマエが羨ましいんだ。
 自分を裏切らず、信念のままに動く、その生き方がな。
 もしオマエが家を出なかったとしたら、
 そのときは俺がオマエの立場になっていただろうな。
 俺だって、父さんのやり方が正しいとは思えない」

「・・・何が言いたいんだ」

「だがな、らせつ。
 あのひとが何をしてきたか、
 そしてどんなことをしようとしているか。
 それは俺だって知ってるさ。
 でも俺はあの家に残らなきゃならない。
 残って、家を守らなきゃならない。
 そうしなきゃ、俺や、オマエが育ってきた家が・・・・・
 俺達と母さんとの思い出が、無くなってしまうんだ」

「・・・・・!」

再度、らせつは言葉を失った。
それまで全く気づかなかった兄の深層をかいま見て・・・
驚きと同時に、自分に対する嫌悪感がこみ上げてくる。

もちろん、それはらせつの表情にも出たはずだった。
が、夜叉はまるでこちらを見ていないようにして、独白を続けていく。

「俺は・・・楽しかったあの頃を取り戻したい・・・」


みし・・・!


「痛ぅっ・・・!?」

突然、らせつの肩をにぎる夜叉の手に、尋常ではない力がこめられる。
肩が砕けるのではないかという程に。

そして、これから紡がれる夜叉の言葉は、
らせつをさらなる驚愕へと導いていくものだった。


誰も望まない、だが必然ゆえに、巻き起こる災禍。
この世のすべてが己の意志を通せず、
まるで何者かに操られるように過ちばかり繰り返していく。
正義を貫く代償は、その身を押し潰さんとするほど重く、
悪に染まる恩賞は、さながら性交の悦楽にも似て。
なぜに世界は、かくも不可解な理を横たえておくのか。
己の生き様を貴び、美学を貫くことが罪と。
尊きものは、遠くより眺めるのみの芸術品。
芥屑は、さながらまとわりつく虻蝿。
欲すれば其れ遠く、禁ずれば其れ近し。
過ちは、世界そのもの。
世界が過ちの具象なのである。


「らせつ。父の命により、貴様を殺す」


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