18.回想
物心ついた時から彼は戦乱の渦中にあった。幼子に容赦無く向けられる暴力、脅威。それら全てを己自身の力をもって排斥することを否応なしに求められた。それが我が子としての当たり前のつとめであると、実の父親から言いつかわされて。思い出す日々は、父より受ける特訓と言う名の拷問の責め苦、幾度となく瀕死の重傷にまで追い込まれた惨たらしい仕打ちの連続だった。
「死にたくなければ強くなれ」
父は口癖のようにそう言っていた。いつの頃からか…そう、母が死んだあの日、その時から、それが父の口癖となっていた。
そしてその時が、父の実子に対する『特訓』の始まりでもあった。
「みじめたらしく後悔しながら死にたくなければ、力をつけて強くなれ。弱っちいままじゃ手前ェら、バケモノ共に捕まってとり殺されちまうぞ」
幼い自分に繰り返し繰り返し行われる戦闘訓練。基本動作の反復練習からオウガーベア(鬼熊)との実戦まで、あまりにも度を過ぎた量の訓練が自分に施され、身体の傷が増えるごとに、確かに戦闘技術も向上していくのがわかった。だが、幼子にここまで厳しい戦闘訓練をする必要がどこにあるのか。苦しみに耐え苦痛をこらえながら、彼は常に苦悩し、傷と技術が増えるにつれて父に対する憎しみもまた増えていくのを感じていた。
15年。彼は我慢した。耐えに耐え、噛み締めた苦渋をさらに噛み潰して我慢した。が、苦汁を呑み込む事は決して出来なかった。喉元でじくじくと酸が蝕むように溜まってゆくそれ、ついに表に吐き出した。それがあの、15歳の夏の夜。
「もうあんたにはついていけない。こんな家にいたくない」
そう言って彼は生家を出た。いくつかの雑貨と拳に馴染んだ格闘用グローブをつかんで。制止する兄、恫喝する父を振りきって、彼はあてもなくただ逃げるためだけに、家の外へ、広大なる外界へと飛び出した。
それからは実にたくさんのことがあった。実にたくさんの出来事、実にたくさんの人々と触れあった。外界の生活では、皮肉なことに父から授かった戦闘技術が役にたち、くいぶちにこまることはなかった。
はじめは忘れたかった。父に鍛えられた身体、父に与えられた戦いの技術、そのほか、父の手のかかった自分のあらゆるすべてを忘れ去りたかった。が、それらが日々を生きる根幹として機能するにつれ、だんだんと彼の中で意識の変化が訪れていった。
「親父を超える」
忌むべきものを超越し、我が物とする。父の教義の大文のひとつにそれがある。彼は父のことを憎んでいたが、その教義については肯定的だった。
何事においてもそうだが、物理そのものは決して害でも薬でもない。物理にそれらを付与するのは人間の意志だ。教え手が悪ければ聖文さえ毒説となる。
これは父に説かれたことだった。そしてそれは間違っていないと彼は思った。間違っていないのならば、それは薬だ。有用な知識だ。有用ならば活用する。それが例えどんな逸話や背景を持っていようとも、物理はあくまで物理でしかない。
「この拳を自己流で鍛えあげ、親父を叩きのめし、超えてやる。親父よりも自分が優れていることを見せつけてやる。それが俺の奴に対する復讐だ」
もし誰かを完膚無きまでに叩きのめそうと思ったのなら、相手の得意とする分野で勝負し、相手を遙かに凌駕してみせればいい。これも父に説かれた。ならば、これを実証してみせてやろうじゃないか。そうすればあの男のプライドを打ち砕くことができる。
それが、以後の彼の行動の指針となる。
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