ラグオルは美しい星だと聞いていた。 鮮やかな緑の自然が茂り、綺麗に澄んだ小川が流れている。まさしく楽園のような星だと。 「……まぁ、間違っちゃないだろーが……」 確かに、ラグオルの景色はとても美しいものだった。 自然、水、空気、空。全てにおいて地球を上回る素晴らしさだ。 だが…これはいったいどうしたものか。 「……夜逃げか、はたまた戦争か……」 降下艇が着陸したのは、結構な広さのある平原だった。ちょっとした運動場位の広さがある。足元の草が丁寧に駆り揃えられているところを見ると、ひょっとしたら本当に運動場なのかもしれない。 そこに、どういうわけか無数のコンテナが散乱していた。1メートル四方で金属製の、よく運搬用に使われるコンテナだ。 「数え切れねえな、こりゃ」 コンテナは平原の中を埋め尽くすほどの数だった。ざっと3、40個といったところか。普通に置いてあったり、横倒しになっていたり、重ね損なって斜めになっていたりと、まるで慌ててここに荷物を集めたような感じを受ける。 「何が入ってんだ……?」 一番手近にあったコンテナの蓋に手をかける。蓋はロックも封もされておらず、横にずらすとあっさりとスライドした。 コンテナの中には、ジュラルミンを思わせる光沢の金属箱がいくつも詰まっていた。箱の表面にはそれぞれ"パイオニア軍"のマークが刻印され、ご丁寧に拳銃を模したシールが貼り付けられている。 箱の蓋も開けると、そこに入っていたのはやはり拳銃だった。パイオニア軍で制式採用されているフォトン式のハンドガンだ。 「て、ことは」 適当にコンテナを開けていくと、ライフル、マシンガンと種類こそ違えど、そこに入っていたのはどれも軍用の武器ばかりだった。 おそらく、ここにあるコンテナすべてに武器が詰まっているのだろう。軍用の、それも新品の武器が。 どういうことなのか。幾つか考えが浮かぶ。 ひとつ。先の爆発現象を受けて急遽ラグオル駐留の軍隊が出動。突然なので兵士の準備が間に合わず、武器をコンテナごと持ってきた。 ふたつ。ここは実は武器置き場で、整理整頓の概念が無い担当者によってずさんに管理されていた。 みっつ。爆発以前から何らかのトラブルが起き、ラグオルから逃げ出す為にここに荷物を集めていた。 「っつうか、どれもありそうな気がするし、無いような気もするし」 まぁ、いわゆる情報不足ってヤツだ。判断するための材料がまったく無い。 「とりあえずは、セントラルドームか」 惑星ラグオルの開拓と開発の中枢であるセントラルドーム。そこに行けば何かしらの情報が得られるだろう。 先の爆発の影響、原因、被害…そしてあの光から感じた"不快な波長"。 言い知れぬ不安に駆り立てられているのはあの光のせいだ。あれは…どう考えてもこの世界ではありえない。 「しっかし、静かだな。あんな爆発が起こったんならえらい騒ぎになるハズなんだが」 ふと、さっきから気になっていた疑問を口にする。 降下艇を降りた時から、人間の声や気配をまったく感じていない。これだけの武器を持ち出していながら、銃声もまったく聞こえない。 「どうなってんだ……」 訝りながら、ハンドガンの入ったコンテナに右手を置き、身体を預けた。 と――――― 「温かい……?」 コンテナのへり、持ち上げるのに丁度良さそうな場所が、ほんのりと温まっていた。確かめるのに指先で触れてみると、ほのかなぬくもりと、汗のような湿り気が伝わってくる。 「何だ……さっきまで誰かが持ってた……みたいな」 神隠し―――そんな単語が頭をよぎる。それならばこの状況も説明がつくのではなかろうか。 頭の中で、まだ少ない手持ちのピースが形を成しはじめた。その時だった。 ウォォォォォォォォッォォォォォォォォォォォォン 「!!」 それはとてつもなく大きな獣の咆哮だった。 狂ったように猛々しく間延びするその咆哮は、腹を空かして自制を失くした熊が出す吠え方に似ていた。 怒りとか苛立ちとか、暴力的な衝動をそのまま吐き出したような。 (…ラグオルに猛獣は居ないって話だったがな) 船のツアコンが言っていた台詞を思い出す。「ラグオルは美しい自然と、可愛らしい動物達が――」。 あんな吠え声を出す動物など、例え外見がウサギでも愛らしいとは思わない。 「まぁ、とりあえず……行くか」 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------  広場を少し走ると、草原は唐突に濃い森林へと変わっていた。  まるで密林から切り抜いたように鬱蒼と木々が生い茂り、下草が複雑に絡まりあって向こう側の景色を完全に覆い隠している。  先程聞こえてきた獣の吠え声は、自分の感覚が確かならばこの森の奥から発せられていたはずだった。 (ま、しゃあねえ……)  毒づきながら、両手で顔を隠して茂みに飛び込む。  あちこちから枝葉が容赦なく身体に突き刺さってくるが、特殊素材のボディスーツはそのことごとくを弾き返してくれた。  薄暗く、枝葉で視界が遮られる森の中、勘を頼りに奥へと進む。  さほど時間は経たなかったと思う。  やがて、森が途切れた。  ざっ―――と勢いよく茂みから飛び出す。  そこは森の中に偶然出来たスキマのような場所だった。ぽっかりと円形に木々がなくなり、丈の短い雑草がびっしりと群生している。かろうじて日の光が差すらしく、草原の中央には鮮やかな彩りの花々も咲いていた。 「――――――っ!?」  はっとして視線を留める。  花々の上、差し込んできている光の帯の中に、空を見上げて立っている少女の姿があった。  赤い長袖のワンピース。赤い髪。赤い瞳。首に巻かれた赤いチョーカー。血を想起させる程濃密な赤に彩られた華奢な少女。唯一肌だけが光に照らされて透き通るように白い。  此処の住人か。そう思った。  散歩に出るなら相応しい服装だ。少なくとも山狩りが出来る装備ではない。 「なぁ、ちょっと聞きたいんだが……」  なるたけ温厚そうに聞こえるよう努めて、声を出す。  着ている物が傍目でもわかる物騒な戦闘スーツなので、どう言い繕っても不審者と思われるのは避けられそうもなかったが。こちらに気付いた瞬間逃げ出されるかもしれない。見た目も悪人面だしな―――自嘲気味に胸中で笑う。  少女は問いかけが届かなかったのか、じっと空を見上げるばかりだった。  憧れとも憂いともとれるしっとりと潤んだ瞳で、木々の隙間からのぞいているだろう空を見つめている。   (………?)  聞こえなかったのだろうか。  少女との距離はさほど開いていない。目算で5メートル位だ。  とりあえずもう一度問いかけようと草原へ踏み込む。  その時だった 《―――星が病んでいく―――》  それは形容するならば唐突に頭に走ったノイズだった。ざわざわと波打つ雑音。頭痛の合間に流れる不協和音のようなもの。  だがそれは確かに少女の声だった。柔らかで澄んだ子供の声。混ざり合った絵の具のような混沌の中で、それだけがはっきりと知覚出来る。 《―――幾百の魂が闇の淵へ落ち―――》  おかしい。何が起こっている―――?  少女は口を開いていないのに何故声が聞こえている。  そして少女は何を見上げている。  疑念が膨張していく。  混乱が度を超えて錯乱しかけている。  確かめなければ本当に自制が効かなくなりそうだ。  違和感に脳を握られているような感覚の中、少女へ向けてゆっくりと踏み出す。 《―――幾千の魂が闇に侵され―――》 ザァッ――――― 「………っっぁ!」  近付くにつれノイズが勢いを増していく。まるで脳に音叉を突き刺されているような苛烈さだ。  そして同様に少女の声も大きさを増している。ノイズとは対照的に穏やかな声。玲々と、まるで―――詩でも吟じているような。 《―――ひとつの魂が闇より目覚め―――》  痛みすら覚える雑音の中、重い空気の壁を押しのけるように少女へと歩み寄る。  走り出したい気分だった。駆け出せば一瞬でカタが付く。だがおそらくそれをしたら頭が耐え切れずに発狂するだろう。  少女までの距離はあとわずか。あと一歩踏み込めば手が届くはずだ。  あと一歩――― 《―――楽園は涅槃へと姿を変える―――》 ザァ―――――ッ  辿り着いた。少女は目の前に居る。ノイズは騒音とかであらわせるレベルではなくなっていたが、それでも耐えていられる。  脂汗のようなものがこめかみから滴り落ちた。苦しさを通り越して辛辣な笑みが口元に張り付いている。  少女はこちらに身体を向けて、空を見上げている。目の前に武装した不振人物が現れたというのに気付いた素振りが全く無い。  間近で見てわかったが、少女はまるで人形のようだった。身じろぎどころか瞬きひとつしない。ありえないことだが呼吸さえしていないように思える。 (まさか本当に人形なんじゃねえだろうな……)  ここまでの苦労を思い返して、陰鬱に呟く。  確かに玄関先に立たせておけば泥棒除けにはなりそうではある。  だが、少女の真紅の瞳は人形と呼ぶにはあまりにも生気に満ちていた。生命力とか精気とか、人形(つくりもの)では出せない意思の篭った輝きがそこにはあった。 (………)  意を決して、手を伸ばす。右手を前へ、少女の肩へ。  揺すっても反応が無ければ人形。反応したら人間。突然襲い掛かって来たら―――何だろう。まぁそれは無いと思うが。  ノイズはまだ鳴り響いている。気を抜けば震えだしそうな右手を必死に抑えて、少女の左肩に手を置いた。  とん、と硬くもなく柔らかくもない感触。骨があって筋肉がある、普通の人間の感触。 ざわ―――――――! 「……………っっっっっ!?」  少女に触れた瞬間、掌から体内に猛烈な突風が吹き込まれたような感覚に襲われた。熱をもった何かが駆け巡り、突き抜けていく。  驚いて手を放そうとして―――そこで更に驚くべきものを見て、ぎょっとする。  少女がこちらを見ていた。まるで今しがた気が付いたように目を丸くして、どこか切なげな表情で。 《あの船を降ろしちゃ駄目!》  聞こえてきたのは、それまでの少女の声とは全く違う、強い感情の籠もった訴える声だった。 「な………」  唐突の豹変に戸惑い、絶句する。  少女は肩にのせたままの右手にすがりつき、懇願するように身を寄せてきた。 《あなたも速くここから逃げて。でないと――――》  少女は、何かとてつもなく重要な事を言おうとしたのだと思う。この星が爆発するとか、住人を皆殺しにした人食いの獣が徘徊しているのだとか。  だがそれは狙いすましたように強まったノイズに跡形も無くかき消された。 「ぁぁぁぁああ!!!」  脳を灼かれているような激烈な痛みが思考を遮断する。耐え切れず草の上に膝をつくと、身体を支える気力がどこかへ消えて、そのまま頭から草の上に突っ伏した。  視界が白み、意識が薄れていく。苦痛の余韻を残しながらゆるやかに色彩が失せていく中、隣で立っていた少女の足もゆるやかに消えていった気がしたが―――それを訝るよりも速く意識はぷつりと途切れた。