忍 闇に行き、闇に死す。それが忍の宿命。永遠に日の目を見ない暗がりに潜み、息も気配も消し続けて生きる日陰の業。誰の目にも触れず、誰の記憶にも残らず、誰の肌にも触れることが無い。ただ其処にある影――――それが忍。忍道である。 故に忍びはかえりみられることはない。助けを得られることも、救いを得られることもない。そこにいるのは物言わぬ影なのだから、それが何であるのか理解を求めることすら出来ない。たった一人敵地の湿った土の上で絶命し、その骸を猛禽や犬狼についばまれ、骨すらも風によって吹き散らされて跡形も無くなる。捕縛されようが、傷を負おうが、殺されようが、忍びとはそういった荒事に使い倒される為に製造された人型のカラクリなのだ。 だから彼は、己の心臓が止まるのをじっと待っていた。大量に血を失い、全身の骨をヘシ折られ、あらかたの内臓を殴り(ないしは蹴り)潰されたこの身体は、いずれ遠くないうちに活動を止めるだろう。それが数秒先なのか数時間先なのかはわからないが、いずれ死に行くことは確かだった。 敵方に捕縛されて五日。彼は朝から晩にかけてあらゆる拷問を受けてきた。鞭打ちに始まり、焼きゴテ、水責め、生爪剥がし、針千本、指を断たれ、耳を削がれ、目を焼かれ、舌を抜かれ、男根を切り取られた。拷問の責めが途切れた時間には手すきの者を呼んで木刀で身体を打たせた。だがそれでも―――彼は一言も喋ることはなかった。今はもう誰も責める意味を見出せなくなり、ゴミのように仕置き部屋の片隅に放り投げられ、いずれ死にゆく時を独りで待っている。 そうだ、これで良い。彼は力なく笑った。これで、良い。捕らえられたのは己が不甲斐ない故。ならばその程度の男など―――不要。死すべきであった。後悔が無い訳ではない。気の良い仲間達の顔を見れなくなるかと思うと、胸の奥が締められるように痛んだ。だが神や仏に望もうが、もはやそれは適わぬ幻想(ゆめ)。己はここで朽ち果てる。それは避けられない。 あぁ、痛い。はやく楽になろう。気を抜いてしまえばその瞬間全てが解放される。痛みや、苦しみ、宿業、掟。はやく楽になろう。もう疲れた。楽になろう。はやく楽になろう。 「―――ゃ! 兄者! 死ぬな!」 彼が意識を止める間際、真新しい血の匂いが鼻腔に飛び込んできた。そして、声。誰かの――ーどこかで聞いたような、懐かしい、酷く懐かしい声。だが、堕ちはじめた意識は、それを感じることは出来ても察することは出来なかった。薄霧がかかったようにぼんやりと、はっきりしない輪郭だけが 頭に浮かぶ。そしてそれも―――灯火が吹き消されるように、霞んで消えていった。 「兄者ぁぁぁぁぁ!!」 ナイテイル―――? ままならない頭でそんなことを思う。耳に届く若々しい声は、はばかることなく震えていた。ナイテイル―――己の為に? 誰が―――いったい誰が―――。 それはほんの僅か、神か仏がくれた奇跡だったのだろう。鉄箸で焼かれた筈の目が開き、その目がはっきりと、己の傍らにうずくまって泣いている者の姿をとらえた。黒装束の忍。頭巾から覗く顔は、まだ若さが抜けきらない青さがある。 「太彦……」 声が出るとは思わなかった。舌はなく喉も焼かれた筈なのに。だが声が出る。目の前の弟以上に震えて、か細かったが、声が出る。 「忍びは…泣くなと……言っている…だろ……」 そう言って、彼は精一杯の笑顔を浮かべた。里に居た頃、弟に見せていたのと同じように。どれだけ顔の筋肉が動いたかわからないが、弟には伝わったようだった。ボロボロと泣きながら、それでもうん、うんと必死に頷いている。 彼は、嬉しかったのだ。末期に、己が最も大事にしていた弟弟子に会えたことが。それだけで、十分だった。そう。もう、十分だった。 「強く…あれ。最後の…言いつけだ…」 奇跡は終わりに近付いていた。声がかすれはじめ、紡ぐ言葉の韻律も崩れてきている。見えていた弟の顔が、じんわりとぼやけていく。 急速に力を失いつつある兄の姿に、弟は動転してその身体を抱え上げた。それはまるで堕ちようとしている兄を引き止めるかのようだった。 「さらばだ……弟よ」 弟の腕の中で、彼は静かに息を引き取った。敵地の只中とは思えないほど安らかな顔で。最期の最期、肉親に抱かれて死を迎えた彼は、死したというのに幸せそうだった。 弟は、しばし涙を溜めて兄の死に顔を見つめた後、ぎゅっ、と目を瞑り、涙を全て絞り落とした。それでも残った雫は袖で拭う。決意を秘めたその眼差しは、おそらく、もう二度と軽々しく泣くことは無いだろう。人の死によって人が成長する。惨い話だが、それは人が人である以上未来永劫になくならない。 弟はそっと兄のなきがらを床に横たえた。そして立ち上がり―――振り返る。 「テメエ等ぁぁぁぁぁ―――」 仕置き部屋の狭い入り口の向こうに、この城に詰めている侍達が何人も待ち構えていた。仲間の忍達によって各所を爆破され、城の人間は散り散りになっているハズだが、狙いがココだというのはコイツ等程度でも思いつけたのだろう。 上等である。 「地獄で兄者に詫びやがれ、外道共が!!!!」 叫び、弟は刀を手に駆け出した。 そこにいた十五人、すべからく首を刎ねられて絶命したのは、まさに一瞬の間のことだった。 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 高台をそよぐ柔らかな風が、線香の煙を山裾へと運んでいく。真新しい戒名が記された卒塔婆の前で、元服して間もない頃合の若者が深く頭を垂れていた。 独りで敵地に赴いた兄弟子が生還を果たす確率は、限りなく低かった。一割にも満たない。だが当時はそれでも強行せねばならない苦しい状況だった。だから兄は行った。里のため、仲間のために。 「兄者は、この里で一番立派な忍でした」 自分に出来るのだろうか。命を捨てる覚悟が。捨て身で何かをなし得ることが。 ―――いや。やらねばならない。兄の遺志を継ぐものとして。兄の遺志に応えるものとして。 「言いつけは生涯忘れません。私は―――強くあります。この里を守護する者として」 忍びの宿命は、昔は反駁していたその掟は、今ならば理解することが出来る。全ては脆弱な―――最強の戦力を持つが故に脆弱な自分達を守るためのものなのだ。 若者は頭を上げた。その瞳には決意と、決別が浮かんでいる。 「さらばです、兄者」 そう言って、彼は墓前に背を向けた。そして歩き出す。自分達の故郷、里へ。そこに住むひとりの人間、忍として。 ジェノサイダー氏よりリク。 『忍者』ネタでってそんな漠然と言われてもーと思いつつ気侭に書いてみました。当初はテキトーに羽ッ鳥君とか光学迷彩の彼とかのコメディ書こうとしてたのは秘密秘密ー。ムゥゥン!っつって屋根ブチ破ったりしてましたよ。 <目次へ> |