AC3SL小説 『翳らない幻影』


序章
1.七機目のブラックセラフ
2.MACHINEGUN ETIQUETTE
3.紅蓮の熾天使
4.種明かし
5.RUMBLE GANBLE
6.Dead or Alive
終章

   序章


 聖域(サイレントライン)が暴かれた後、その管理はミラージュの手に委ねられた。かの企業は無人機体を多く運用していたため、人的被害がクレストに比べて少なく、どの企業よりも早期に操業を再開出来ると見込まれていたからだ。決定が下された当時クレストは衛星砲による多大な損害の復旧にかかりきりとなり、サイレントラインへ派遣できる人材も機材も持ち合わせてはいなかった。
 そのことが事態を激変させた。ミラージュ指揮のもと行われた第二レイヤードの発掘作業。全ての機能が死滅したはずの穴ぐらから続々と引き上げられる次世代型AC。黒き翼のブラック・セラフ。
 発掘されたブラック・セラフは六機。その全ては企業間の均衡を守るべく調停者たるグローバルコーテックス社に接収された。機体は末端に至るまで分解され、各部に用いられている次世代技術の情報が各企業に渡されたのち、全ての部品が破棄されることになっている。ブラック・セラフは"残さない"。それが全ての企業が示した同一の見解だった。
 サイレントラインの悲劇が終わり、世界は復興の道へ戻りつつある。森を拓き、土を均し、家を築く。誰もが開拓に懸命になっている。だというのに―――ただ独り立ち止まって、他とは違う方向を見据えている者が居る。
 一度触った玩具を遊ばずに返す子供がどこにいる?
 ミラージュが武装決起したのは、七機目のブラック・セラフを発掘した翌日のことだった。



   1.七機目のブラック・セラフ


『目標を確認。距離3000、付近に敵影無し』

 夜闇の中を深緑の影が走る。鋼鉄の四本足、滑らかに疾駆する斑模様の鬼蜘蛛。背中に二連の機関砲を背負い、両手にそれぞれ機関銃を携え、紫の一つ目を光らせながら荒野をひた進む。
 あたりには何も無かった。黒く焦げた焦土が果てなく広がっている。建物も、道も、標識も無い。在るものはただひとつ―――粉々に粉砕された機械のかけら。路傍の石ころのように無造作に転がるACとMTの残骸達。
 第二レイヤード。此処はかつてサイレントラインと呼ばれていた土地。

『ラジャー。こちらのレーダーにも反応は無い。引き続き警戒速度で進行せよ』

 四つの足を巧みに動かして鬼蜘蛛は荒野を進む。闇に紛れ足音を忍ばせて、ただひたすらに真っ直ぐ―――荒野の中心へと。他に機影はひとつも無い。傍らを併走する影も、それ以外の影も無い。現在地から目標地点まで、目に見える範囲はすべて静謐なる夜の闇。静かにひそやかにたたずむ波のない深海の重苦しさ。

『Yes、Sir。あと60秒で到達予定。着くまで目を離さないでくれよ、マム』

 なかば土に埋まった大きな残骸をするりと避ける。"目標"に近付くにつれて散乱するがらくたの密度が増してきていた。
 鬼蜘蛛が見据える先には、この茫漠とした荒野の中にただひとつ聳える建物がある。要塞のような物々しさと巨大な規模をもったその建物は、今はもう主を失って朽ち果ててゆくのみだというのに、いまだ見る者に底知れぬ畏怖と威圧感を与え続けていた。『オールド・コート』―――旧き宮殿。その名の通り、かつてそこには王が棲んでいた。

『こんなだだっ広いトコロで見失うワケないでしょう。軽口叩く暇あったら操縦に専念してなさい、ルーキーぼうや

 衛星砲ヴァリスタ近衛騎士ナイトを従え居城を守らんとした静寂の王は、一月前の大動乱の末、たったひとりの人間の勇者によって討ち滅ぼされた。城はすべからく焼き崩され、遺産は片端から地上へと持ち去られた。今は主も従者もいないもぬけの殻となった巨大な廃墟だけが、この広大な荒れ地の真ん中に鎮座している。
 いや。正確に言えば城はもぬけの殻ではなかった。その中で蠢く者達が居る。地下に眠る財宝を掘り起こさんと躍起になるもぐらアングラー達が居る。薄暗くカビ臭い穴ぐらの中を這い回り、埃をかぶって眠りについている黄金のスタチューを探す欲深なクソもぐら共が。

『へっへ、お見通しってコトね―――っと、入口が見えた。敵影無し。そっちは?』

 鬼蜘蛛はオールド・コートの間近に迫り、コンクリートの壁にぽっかりと開いている四角い空隙の前で足を止めた。
 もとは鉄の門扉であったろうその場所は、人間と貨物を通す便宜の為に扉の機能を殺されている。今はただ煙突のような実直さで通路が延びていくのみ。ただ一本の太い太い通路がどこまでも真っ直ぐ闇の中へ真っ直ぐ。

『無いわ。変ね―――外周も内部も完全に無反応よ。いくら作業時間外でも発電機くらいは稼動してるハズなのに―――』

 あたりには人気も機械気もない。物音、息づかい、動く物、光、何もない。

『―――待ち伏せか?』

 瞬くように鬼蜘蛛のモノアイが真紅に転じる。警戒色。刺すような圧迫感が周囲を照らす。
 全くの無音。無反応。気配も、電子の気配も、何もかもが無い。たがそれ故に―――何かがある。

熱量感知インカミング!》

 反応は機械のほうが迅かった。ACの管制システムが警告を発し、ディスプレイに熱源の位置を細かに表示する。赤い光点が斜に並んで五つ。間違いなく通路の奥から入口へ向けて接近してきている。

『デコイを!』

 オペレータが叫ぶのと同時に、肩部内臓火器インサイドのデコイが空中に射出される。ふわふわと漂う五つの球体をその場に残して、ACはスラスターを噴かして一気に20メートル程後退した。
 直後、高速で飛来していた五発のミサイルがそれぞれデコイに衝突して爆発を起こした。

『く―――』

 膨れあがる爆炎を浴びながら、その規模の大きさにパイロットが呻きを漏らす。赤熱する炎は入口をすっぽり覆い隠してもまだ足りず、渦を巻くように舞い上がって天を衝いた。

『なんてぇ威力だよ』

 直撃を食らえばACはひとたまりもなかっただろう。パイロットはヘルメット越しに恐々と炎を見つめて、ぎゅっと右手の操縦桿をきつく握り締めた。

『何が来る―――鬼か蛇か、はたまた悪魔セラフか』

ぼうっ―――――

 炎が揺らめく。ACの真正面、オールド・コートの入口の向こうから、螺旋状に爆炎に穴が開く。
 それは炎に包まれて現れた。自らが起こした火炎をまとい、まるで断罪に訪れた熾天使のように輝いて。黒く染められた六対の鉄の翼、意匠を凝らされた細身のボディ、炎の中にあってなお燦然と輝く真紅のモノアイ。

『ビンゴ。悪魔のお出ましみたいね』

 疾風のように炎の壁を突き抜けた熾天使は、黒い翼をはためかせて火の粉を振り払い、天使の御姿に見惚れている鬼蜘蛛の前に軽やかに降り立った。

『マジかよ』

 その機体が持つ圧倒的な神々しさを目前にして、パイロットはただ情けなく呻きを漏らすしかなかった。



   2.MACHINEGUN ETIQUETTE


 見詰め合う静寂はすぐに終わる。静謐を掻き乱したのは熾天使が先だった。

ばっ―――――

 それは間違いなく羽音だった。漆黒色の12枚の翼が一斉にはばたき、熾天使の機体が木の葉のように空へ舞い上がる。上昇する速度はまるで弾丸のよう。夜闇に紛れながら一直線に高みへ高みへと昇っていく。

「チィ」

 鬼蜘蛛の操縦士パイロットアーテック・フートは、いぎたなく舌打ちしながらモノアイ・カメラを空へ上向かせた。見る見るうちに熾天使は高度を上げ、その機影はやがて豆粒ほどに小さくなる。空を見つめながら、フートは空いた手で火器管制の安全装置を解除していった。ガチン、ガチン、と鬼蜘蛛の両腕のマシンガンからセーフティが外れた作動音が鳴る。

『高度800メートルにて対象は上昇を停止』

 オペレータからの無線ラジオ。相変わらずその声は冷たい。
 FCSが稼動を始める。ディスプレイの中央にサイト・マーカーが表示される。豆粒の熾天使はしっかり照準の中央に入っているが、コンピュータはしんと無反応。補足限界距離を越えているのだ。
 だが重量のあるものならばいつかは地上へ落ちてくる。フートは訓練で叩き込まれた精神制御法を反芻し、意識を平静に保つよう努めた。勝機が見えるのは一瞬。その一瞬の中でトリガーを引けるかどうかが勝敗を分ける鍵となる。

(教官の受け売りだがな―――いやはや、確かにその通りだと思わせる空気だ)

 安全装置は解除された。弾薬はたっぷり。照準に狂いは無く、見通せる距離はいつも変わらず410メートル。戦いの準備は全て終わり、あとは敵が来るのを待つだけで良い。

『対象が降下を開始』

 連絡が入った直後、遙か上空で熾天使がほんのりと赤く輝いた。
 ぎっ―――操縦桿を握る手に力が入る。青黒い夜空にぽんと浮かぶ粒を見上げながら、フートはガンガンとヘルメットの側頭を拳でこづいた。歩兵時代からの癖だ―――ジャムを防ぐ為にマガジンをヘルメットで叩く。一種の精神制御であり、今でも緊張すると時々でる。

(さぁて…)

 ヘルメットの中でぺろりと舌なめずりして、フートは口の端を笑うように持ち上げた。
 愉しくはない。嬉しくもない。皮肉だ。"初陣で熾天使と戦うなど"。可笑しくてたまらない。
 頭上で淡い蛍のように光って落下している熾天使。遠目には低速の自由落下に見えるが、実際の速度は間違いなく音速に近い異常速度だ。おそらくあと数秒もすれば目の前まで降りてくるだろう。
 だから、その前に撃ち落さねばならない。時速1000km/hで下降する化け物を、たった二挺のマシンガンで。

ピ―――ッ

 FCSが反応する。サイト・マーカーはレッド。410から始まる苛烈なカウントダウン。考えて動く暇など無い。

「あああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 後から聞いた話によると、それは子供の泣き声だったらしい。だが取り繕う余裕などなかった。必死だった。
 掲げられたふたつの銃口が火を噴き、そこから55mm徹甲弾が波濤のように吐き出された。数え切れないほどの合成鉛の弾丸は、逆向きの豪雨のような勢いで空へと昇り、降り来たる熾天使に真正面からぶつかっていった。
 金属が打ち合う火花が散る。大気との摩擦で加熱しているのか、熾天使の漆黒のボディはうっすらと赤く発光していた。その表面で弾丸がはじけ、無数のスパークを作っていく。
 だが熾天使は揺るがない。弾雨を浴びながら、真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに、地上を目指して下降を続ける。

「このっっ!!」

 唸り、フートは鬼蜘蛛を発進させた。スラスターを全開に吹かして後方へ滑る。オールド・コートから遠ざかりながら、空の熾天使へ向けてマシンガンを撃ち続ける。
 熾天使は蜘蛛を追った。軌道をゆるりと曲げながら、尋常でない速度で蜘蛛へと迫る。同じ方向に全速移動しているのが嘘のように、その距離はみるみるうちに詰まっていった。
 やがて、さほど長くない追走の後、二機は交錯した。

ごうんっ!

 風鳴りの音、それに虫の羽音に似た振動が混じり、炎のようなひとすじの光条が鬼蜘蛛を撫でて通り過ぎていった。斬られるというよりは根こそぎ抉られるような感じで、鬼蜘蛛の右腕が吹き飛んだ。

「っな―――――!」

 攻撃を受けた衝撃で捻られるように機体が傾ぎ、破損した右肩から突っ込むように荒れ地へ転倒する。熾天使は交錯した勢いのまま通り過ぎ、再び空へと上がっていった。
 落下の衝撃がフートを揺さぶった。固定式ベルトを引き千切らんばかりに体が振れる。ヘッドレストに思い切りヘルメットがブツかり、視界が白むほどの衝撃と痛みが走った。

「こォ…の……!」

 いまだ揺れ続ける操縦席の中で、フートは勘を頼りに操縦桿とスロットルを引っ掴んだ。頭に受けた衝撃でまともに思考が働かない。指先の感覚も麻痺したように鈍くなっている。それでもフートの身体を衝き動かしたのは、訓練によって骨の髄まで染み込んだ条件反射だった。
 ブーストを噴かす。ほんの少しだけ空中に浮き上がり、姿勢を立て直して四足を着地させる。
 意識よりも動作が先を行く感覚の中、フートは驚くほど滑らかな手際で鬼蜘蛛を操作していった。火器管制から失った右腕の制御を切り離し、左腕のマシンガンひとつに全ての回路を直結させる。せわしなくコンソールを叩きながらレーダー・ディスプレイへ視線を落とし、表示される光点から熾天使の位置と高度を迅速に割り出す。

(……なんだ…この感覚…)

 まるで本能が先行して道を切り開いているような、そんな感覚だった。すべきことを思いついた瞬間には、身体は既に事を終えている。
 モニタが熾天使を捕捉する。距離200メートル、高度30メートル。まるでそれが規定動作であるかのように鬼蜘蛛は一挺となったマシンガンを熾天使へ構えた。

Eat this!くらいやがれ

 ちょうど滑空をはじめた熾天使へ向けて、再び銃火の波濤が襲いかかった。
 浴びせられる弾丸は直径55ミリのすこぶる付き。発射速度は毎分200発の鋼鉄のシャワー。相手が誰だろうが狙い違わず全弾ブチ込み、ズタズタのスクラップに変えてやる。それがマシンガン奏者のエチケットである。



   3.紅蓮の熾天使


タタン タン―――――

 乾いた銃声が夜の荒野に響く。
 装薬が暴発しそうなほど熱を持ったマシンガンを真っ直ぐに構え、鬼蜘蛛はひたと熾天使を見据えていた。幾度かの交錯によって機体は大小無数の裂傷を受け、装甲はすでにその意味をなさなくなっている。スクラップ寸前といったていたらくだが、鬼蜘蛛は―――フートはいまだ微塵も戦意を失ってはいなかった。
 それどころか、フートの意識はむしろ尖鋭ですらあった。高速で飛来する熾天使を巧みにかわし、行き過ぎたその背中へ的確に銃弾を撃ち込んでいる。ACの操縦はいまだ慣れないが、実戦の中にあれば大概の動作は歩兵時代の感覚が補佐してくれていた。
 おそらく操縦訓練では出しえなかった実力を発揮出来ている。あの頃を50点とするならば、90点近い高得点だ。

(………)

 だが―――熾天使はそれ以上だった。羽根を広げて空に浮かぶ姿はまったくの無傷である。300発近い弾丸の八割が命中しているはずだが、装甲の表面に傷が付いた様子さえ見えない。
 それに、さっきからずっと気に掛けていたことがある。熾天使の機体表面と羽根が陽炎のように赤熱していることだ。

(重戦車だろうが反対側まで貫通する強化弾だぞ……効かねえってのはありえねえ)

 機動兵器であるACは装甲車輌並の重装甲を持つことが出来ない。あの熾天使のような高速機動型であればなおさらだ。何者だろうと実体のあるものは重力の枷に縛られている。それは望むと望まざるとあらゆるものに強制的に作用する。例外はひとつとして存在しない。ならば、熾天使には何かしらの秘密が隠されているはずだ。
 が―――その答えを得る暇は与えられそうもなかった。天上の熾天使が十二枚の翼を大きく羽ばたかせたのだ。

「来る……っ!」

 こちらの照準はきっちり熾天使を捉えている。それは向こうも感知しているはずだが、そんなものは全く意に介さない風に真っ直ぐ飛び込んでくるのが熾天使の攻め方だった。ミサイルは撃ち尽くしたのかもう撃ってこない。高速で突っ込み、レーザーブレードをギロチンのように叩きつけてくる。
 既にこちらの機体は満身創痍で、機動力は完調時の半分ほどに低下していた。負荷と衝撃で駆動部が音を上げているのだ。
 ぼうっ―――と熾天使の赤い光がひときわ輝きを増した。炎のようなゆらめきを纏ったその姿は、確かに神話に出てくる熾天使を連想させた。こうして相対していなければ美しいと感じただろう。
 弾薬の残量を見ると、20発と表示されていた。20発。命を賭けるにはいささか頼りない。

(………)

 不意に、フートは視線をコンソールの中の一箇所に落した。BackWeaponとシールの貼られたガラス窓。その下には数個のボタンがある。一度も触った気配の無い、ぴかぴかのボタンが。
 恐る恐るそこへ手を伸ばしかけた時だった。それまで静かだったスピーカーから唐突にオペレータの声が出る。

『来るわよ!』

 はっとして、フートは顔を上げてディスプレイへ目を向けた。上空の熾天使がこちら目掛けて斜めに滑降を始めている。
 残り20発、交錯の瞬間に至近距離から撃ち込めば装甲を貫けるかもしれない。フートはその最後の手段に賭けることにした。ぎりぎりまで引き付けて斬撃をかわし、それと同時にどてっ腹に残弾全てを喰らわせる。ゼロ距離からの射撃を受けてまだ無傷でいられるようなら、もはや対抗しうる手段はひとつも無い。

(来いよ……ブッ壊してやる!)

 熾天使はみるみるうちに近付いてくる。小細工の無いひたすら真っ直ぐな軌道で。
 まるで砲弾のようなものだ。砲弾でやるマタドール・ショーだ。
 
(ここだ……!)

 真紅に燃える機体が眼前まで迫る。
 針の穴を通すような心地で、フートは熾天使の腹部を狙いトリガーを引き絞った。
 直後。

どんっっ!!

 今にもブレードを振ろうとしていた熾天使が"爆発"を起こした。
 爆音と爆炎と爆煙。それらが一度に弾けてディスプレイを覆う。

「っっな―――――!?」

 煙る視界の中、フートは熾天使が錐揉みしながら横に吹き飛ばされていく様を見た。会心のタイミングで放った銃弾は全て何も無い空間を通り過ぎていく。
 呆気に取られたまま、フートは全弾をそのまま撃ち尽くしていた。銃を構えたまま固まっているフートのコクピットへ、オペレータのものではない、男の声で無線が入る。

『見てらんねェなぁ……フート曹長』

 ケレン味のある飄々とした声だった。若くもなく老いてもおらず、三十代くらいを思わせる張りのある声。
 
「クルス……!?」

 聞き覚えのある声音に気付き、フートは軽い混乱状態から目を覚ました。
 周囲を見回そうとすると、それよりも早くディスプレイに灰色のACが姿を見せた。両腕にバズーカを携えた重装甲のACは、誇らしげに―――フートにはそう見えた―――バズーカを肩に担ぎ、こちらへ向いた。

『教官と呼べ、教官と』

 現れたのはフートの訓練教官クルス=ニーク。そしてその愛機"スプートニク"だった。
 訓練生の初陣ということで教官の彼も作戦に同行していた。しかし出撃するなんて話は一度も聞いていないし、ACを積んでいたことだって聞いていない。まぁ、確かにガンシップの格納庫がやたら狭い気がしてはいたが……。

「しかし、なんだってまた……!」

 喋りだそうとしたフートを、クルスは手で制した。器用に人差し指だけを立てて、左右に振ってみせる。

『説明は後回しだ。まずは、種明かしをしてやる』



   4.種明かし


『まずは、種明かしをしてやる』

 余裕綽々といった口調で言って、スプートニクは再び熾天使へ向き直った。
 バズーカの直撃を受けた熾天使はかなり距離を開けたところに転がっていた。軽量なせいで余計に飛距離が伸びたのだろう。地面の上には点々とバウンドしたような跡が残っていた。
 五十メートルほどか。近いとは言えない距離だが、目を凝らさなければ見えない距離でもない。熾天使には目立った外傷はひとつも無かった。

『奴に弾が"効かない"ことは気付いたな?』

 自身の攻撃が全く意味をなさなかったというのに、スピーカーから聞こえるクルスの声はひどく平坦だった。まるでいつものレクチャーの中にいるような錯覚を覚えるほどに、その声から逼迫している様子は窺い知れない。
 そしてこれもレクチャーのワンシーンのように、スプートニクの左腕が重い作動音を立てながら真横に伸ばされた。左腕部用のバズーカ、しっかりとトリガーに指のかかった大仰な砲門が、いまだもみくちゃになったまま寝転がっている熾天使へと向けられる。

どうっ―――――!!

 爆音が轟き、砲口から赤黒い炎をまとった砲弾が撃ち出されていった。肉眼で軌道を追える程度の低速弾だったが、バズーカ(榴弾砲)にとって重要なのは速度(インパクト)ではなく装薬(パウダー)だ。当たりさえすれば衝撃と高熱が装甲を抉る。
 数拍の間を置いて、重い重い砲弾が熾天使の顔面あたりにブチ当たった。直後、爆発が起こる。
 地面で膨れ上がり、渦を巻くように空へと爆炎が昇っていく。暴力的な大爆発に弾かれるようにして熾天使が空中へと舞い上がった。放り投げられた人形のような体の熾天使は、そのまま受け身も取らずに地面に叩きつけられた。決して少なくはない激突音が響いたが、それでも熾天使には傷ひとつついたように見えない。
 熾天使はぴくりとも動かない。パイロットが気絶したのか、遠隔操縦が切れたのか。

『あの赤い光はセラフのシールドだ。機体の全方位をカバーして、なおかつTITAN(核反応弾)の直撃にさえ耐えきる堅牢強固なエネルギーシールドだ。クレストのラボでレプリカを作ってテストしてみたが、地上の既存兵器じゃあの防御は絶対に破れない。お前が全弾奴にブチこもうが、俺が全弾奴にブチかまそうが、火薬の無駄だ。まるで意味が無い』

ヒュィィィ―――――ン

 クルスが口上を垂れているうちに、遠くで倒れている熾天使から風鳴りのような甲高い音が響いてきた。
 六対の羽根が天へ伸び、真紅に発光している。まるで幻想の蝶のように、きらきらと輝く赤い鱗粉が大気に散っている。  フートの乗るスプートニクは、それを見て砲門を構えていた左手をすっと下ろした。

『フレア―――と言うらしい。システム・フレア。太陽(セラフ)を守護する紅蓮の炎。詩的なインテリも居たもんだと思ってたが、成程、あれを見ればそう思わざるを得ないな』

 熾天使を覆う光は、羽根の"いななき"によってさらに輝きを増しつつあった。
 強度を上げている、と、フートにも想像がついた。今度はスプートニクの砲撃でもビクともしなくなるのではないか。そう考えて、苦味の増した胆汁を噛み締めながら嚥下する。

「どん詰まりじゃねぇかよ」

 戦闘の疲労と戦況への不安。それが無意識のうちに肺を絞り、声をかすれさせる。

「既存の兵器じゃ効かねえんだろ? どうしろってんだ。二人揃って逃げんのか」

 無線機が拾ったかどうかも怪しい小さな声量で、もしかしたら相手には届いていないかもしれないが、別にそれならそれで構わなかった。これは、愚痴のようなものだったから。
 が、フートの声はしっかりと向こうに届けられていたらしい。
 返って来たのは嘲笑だった。鼻でせせら笑うような、小さな笑みと吐息。

『フート、お前、あのACと戦って何も気付いてないのか?』

「――――はあ?」

 突拍子も無い問いだった。
 張り詰めた気勢を削がれ、思わず裏返った声をあげる。

『少し考えればわかることだぞ。あのACがどんな動きをしていた。思い出せ』

「どんな……って」

 燐光を撒き散らしている熾天使をちらちらと気にしながら、フートは先程の戦いのことを思い出し始めた。
 熾天使の攻撃は単調だ。上空に舞い上がり、音速に近い速度で飛来してレーザー・ブレードを叩きつける。通り過ぎた後は再び高く舞い上がって、隙を狙ってまた飛来する。軌道は実直なまでに一直線だが、速度が尋常でない為、回避に全力を注がないとかわしきれない。熾天使の機動性、フレアとやらの防御力の高さを考えれば、戦術としては良策の部類に入るだろう。
 ただ、二度三度ならまだしも、それ以上の回数を繰り返すとなると、これは下策となる。軌道が真っ直ぐなら、そのうち相手側が速度に慣れ、回避のコツを掴んでしまう。
 実際、フートも徐々に回避のコツを掴み、終盤はほとんどの攻撃を回避することに成功していた。

「奴は直線軌道に固執しすぎだ……それしか出来ない理由でもあるのか?」

 おぼろげながら、フートの頭の中にひとつの推論が生まれつつあった。
 音速に匹敵する速度、限界まで肉を削がれた華奢な機体、原理不明の古代技術、そもそも機体自体がブラックボックスの集合体である熾天使。
 あるだけの思い付きを集めて至った結論は、あの機体は生身の人間には御しきれない物なのではないかということ。

『上出来だ。お前の言うとおり、奴は直線軌道の攻撃しか出来ない。パイロットはセラフの性能に振り回されてる』

 クルスの声音には若干の笑みが含まれていた。先程の嘲笑ではなく、今度は愉しげな笑み。

『ここからは完全に俺の推論だが、多分間違いは無いだろう。あのセラフ、乗っているのはお前と同じ新米(ルーキー)だ。おそらく急仕立てで出て来たんだろうな、加速とブレード以外の操縦がまるででたらめだ。そこに付け入る隙がある』

「な―――熾天使に新米を乗せてるってのか!?」

 信じられない心地で声を荒げる。
 古代技術の結晶であり、地上で最高のスペックを誇る機体を新米が操縦するなど、到底考えられない話だった。
 金塊を満載した輸送車をマフィアに運ばせるようなものだ。

『まぁ、お前も似たようなモンなんだがな』

 フートが驚愕している中、クルスがこぼすように言ったその一言。

「……はあ?」

 不理解に衝かれて聞き返した瞬間、ずっと黙っていた人物が唐突に口を開き、玲瓏な声で解答を代弁した。

『テンペスト、起動』



   5.RUMBLE GANBLE


 機体が鳴動を始めた。
 ジェネレータの回転数が跳ね上がる。振動がコクピットを震わせる。
 ディスプレイやコンソールがあちこちで明滅し、狂ったようなエレクトリックパレードを演出している。

「な―――」

 通常の稼動状況では無い。
 エネルギー、電力、その他あらゆる数値が上限を超えている。
 あきらかに過稼動だった。リミッターオフなど比にはならない程のオーバーロード。

ガコン

 強い振動。
 それはフートの頭の上、コクピットの隔壁を越えた先から伝わってきた。
 思わず見上げる。そこにあるものは、ACの頭部、それと―――双門の重機関銃。
 はっとしてコンソールに視線を落とすと、バックウェポンの操作パネルがいつの間にか開いていた。

TEMPEST

 メインディスプレイの真ん中に、先程オペレータが言った単語が映し出される。
 テンペスト。確か、暴風雨とか、嵐とかいった意味の単語。
 弾薬が尽きて役目を失っていたFCSが息を吹き返し、レティクルを赤く輝かせる。FCSに連結された武器の名前は、やはりTEMPEST。

『テンペスト。お前がずっと背負ってた機関砲がテンペストだ。クレストのラボが総力をあげて作り上げた地上の武器の規格外(イレギュラー)、システム・フレアを唯一ブチ抜けるトンデモ兵器。―――の試作品』

「試作品……?」

 聞き返す。
 ディスプレイ上では、はやく撃ってくれとばかりに照準がぺかぺか輝いていた。

『有効射程が10mしかない』

ぴしっ

 眉間のあたりがひび割れるのを感じる。
 背中に負っているあれは銃器である。銃器とは遠方に弾を飛ばすものだ。手の届く範囲ならば石を投げれば事足りる。それ以上のものを求められたからこそ銃器は発展し、砲というものを産みさえした。

「コレぶん投げればきっと30mは飛ぶと思うな」

 犬歯を剥いて恐ろしげな笑いを浮かべながら、フートはバックウェポンのパージボタンに手をかけた。
 内心の半分は本気でやろうとしていた。意味も無くこんな重量物を背負わされ、それが欠陥付きの試作品だなどと聞かされれば当然だ。
 だが、止めた。MGの弾薬は全て撃ち尽くし、もはやこれが最後の武器である。使えようが使えまいがむざむざ投げ捨てることはあるまい。
 それに―――クルスがわざわざ持たせたということなら、きっとこれには意味がある。

「……勝てるのか?」

 不意に神妙な顔になって、フートは無線に問いかけた。

ぎしっ―――――

 遠くから軋み音が響く。
 はっとして視線をやると、倒れていたセラフが膝をついて立ち上がりつつあった。動作は実際の怪我人を思わせる緩慢としたものだったが、機体はまったくの無傷、パイロットが転倒の衝撃で頭でも打ったのだろう。
 それもいつまで続くか。あの転倒で重症を負うことは考えられないから、敵パイロットの具合は脳震盪程度。ならばそう遠くないうちに体調が回復する。

『勝たせてやろうか?』

 薄ら笑いをのせたクルスの声。親が背伸びをする子供をなだめる、そんな感じの。
 聞いた瞬間、ヒク、とフートの口元が引きつった。

「つくづく嫌な野郎だなてめえは」

 クルスは怒らせて楽しんでいるのか、さも鷹揚そうに、薄ら笑いをはりつけたままの声で喋る。

『教育の一環だと思って欲しいね』

「……あー……」

 フートが唸る。
 おもむろにヘルメットに手を伸ばし、ストッパーを外して脱ぎ捨てる。
 ヘルメットが操縦席の床に転がり落ち、二十歳にも満たない若い男の貌があらわになった。

「参ったね……てめえのせいで気分出てきちまったじゃねえか」

 頭を振って汗を払い、フートは野犬のような鋭く獰猛な笑みを浮かべた。

「乗ってやるよ。カードを配れくそディーラー」



   6.Dead or Alive


ごうっ―――!!

 スプートニクの背部ブースターが炎を噴き、とても重量級とは思えない勢いで熾天使へと駆け出した。両手にはそれぞれ大型のバズーカを構え、ぴたりと前へ向けたままぐんぐんと距離を詰めていく。
 熾天使はいまだ片膝をついていた。が、爛々と輝く深紅のモノアイは間違いなくスプートニクを見据えている。"フレア"も色濃く機体の周囲を覆っていた。
 無論クルスもそのことは気付いている。気取られているならば、それ以上の手管で攻めれば良い。彼にしてみればただそれだけのこと。

どうっ!

 近接距離まで接近して、両門のバズーカを一斉に発射する。火薬を内包した重い弾頭が尾を引きながら熾天使へ迫った。
 着弾する。そう思った瞬間、熾天使は十二枚の翼を大きく広げ、ゴム紐で引き上げられるような唐突さで空へと舞い上がった。
 砲弾は虚しく彼方へ消える。

『チ――』

 フートのもとにクルスが発した舌打ちの音が届く。
 スプートニクは熾天使がいた場所を若干通り過ぎてから制動をかけ、視界を上げながらぐるりと振り返った。クルスの捕捉はとてつもなく速い。一挙動するうちに上空の熾天使を捉え、挙動を終えると同時にバズーカを撃ち放っている。
 動き始めた熾天使は砲弾をわずかに横へ動いてかわす。

ごうっ―――!!

 轟音。スプートニクが空へ跳躍し、砲弾を追いかけて熾天使へ迫っていた。
 スプートニクはあっという間に熾天使の目の前まで達し、右肩を突き出して体当たりをかける。

ばちんっ

 それは電気が弾けるのに似た音だった。"フレア"に触れたスプートニクの右肩が反発するように弾かれ、機体ごと熾天使と逆方向に押し返される。一時的に推力を失ったスプートニクは地上へ向けて落下していったが、背部ブースターのパワーにまかせて再び熾天使と同高度に舞い戻った。
 熾天使と対面して今度はバズーカを発射する。多少距離が開いていたため先程と同じくあっさりと回避される。が、回避し終えた熾天使の胸部に二発目の砲弾が着弾した。
 炸薬が爆発し、衝撃が熾天使を吹き飛ばす。平衡を失った熾天使は糸が切れたように地上へと落ちていった。

『あとは任せた』

 空のクルスから無線が届く。
 地上で待ち構えていたフートは汗ばむ掌を何度も握りなおして熾天使の落下に備えた。
 装薬は50発。射程は10m。勝率は自分の腕次第。
 落下してきた熾天使が地面に叩きつけられ、轟音とおびただしい土煙をあげた。落下点は完全に土煙に包まれ、熾天使の様子は窺えない。だが――

(行く――!)

 意はとうに決まっている。フートは全速で愛機を前進させた。
 見通しのきかない中、勘を頼って熾天使が落ちた場所へ向かう。
 おおよその見当でここだと思った場所に到達すると、そこにあったのは深紅に輝くレーザー・ブレードだった。

「っな――!!」

 咄嗟に制動をかけ、転げるように旋回してそれをかわす。
 陽炎の残る軌跡をたどっていくと、ブレードを発生させた熾天使の腕が土煙の中に紛れて遠ざかっていくのが見えた。
 ふと足元を見る。苛烈な炎に焼き尽くされ、黒焦げになった大地がそこにあった。激突の寸前にブースターを急噴射して体勢を立て直したのだろう。

『上達してきたな』

 クルスからの無線。ひょっとしたら上空からは丸見えだったのかもしれない。だとすれば殺意めいたものが湧いてくるような気がするが、今はそれどころではないので忘れておく。
 舌打ちして熾天使が飛び去った方向を見据える。チャンスが失われてしまった。目論見で最大の勝機となるはずだった瞬間が。

(二つ目のチャンスってぇのがなぁ―――)

 チャンスは三つあった。一つ目は落下後を叩くもの、二つ目はこれからやるもの、三つ目は玉砕覚悟で特攻。前者から後者に移るにかけて倍々で危険度が高くなっていく。
 だが、やらなければ―――死ぬ。

「楽しーね、なんとも」

 なんともシビアな状況である。負ける割合のほうが高い。まさしく分の悪い賭けだ。
 だがそれが楽しくもある。死力を尽くして生き抜くことの快感。困難な任務を全うする達成感。死闘に臨む昂揚感。
 イカれてる、とよく言われる。そうだろう。兵士として道を選んだ時点で俺はまともじゃない。人殺しをして正義を掲げる人間なんてまともじゃない。
 土煙が晴れた。熾天使は空にいる。いつか見たような距離で、いつか見たような高さで。
 空は白み始めている。夜明けが近い。

「やってやる。来いよセラフ!」

 愛機は四肢を広げ、背中の機関砲を威嚇するように熾天使へ突きつけた。
 それを受けて熾天使が動く。猛禽のように翼を広げ、光り輝く一本の爪を構えて滑降する。深紅の光を纏った十二枚の翼を持つ熾天使が、地上に立つ鬼蜘蛛めがけて飛来する。
 右腕を失い、左腕も武器を失い、装甲はずたずたに裂かれ、移動もままならない。だがそれでも勝機はある。勝機は必ずこの自分が作り出す。
 熾天使が接近する。もはや間近。水平に走る断頭台のようなブレードが首筋めがけて迫り来る。

「このぉぉぉ――っ!!」

 "フレア"に覆われた熾天使の右腕――ブレードを発生させている右腕。
 フートはそれをそっと掴んだ。驚くほど素早く、驚くほど滑らかに。
 そして、熾天使の突進力をいなしながらその方向を変え、まるで柔術のように地面へと叩きつけた。
 けたたましい激突音が響く。バウンドしようとする熾天使を蜘蛛の前足で押さえつけ、フートはぴたりとテンペストの狙いをつけた。

『ヒュウ』

 クルスが愉しげに口笛を吹く。
 それを聞き流して、フートはテンペストのトリガーを引いた。
 そこから放たれたのは"フレア"と同質の輝きを帯びた金属の弾頭。赤い輝きは熾天使の法衣(ローブ)を突き破り、弾丸の波濤を地肌に浴びせかけた。



   終章


「こりゃぁ……なんなんだろうな」

 セラフのコクピットハッチをこじ開けて、フートはその中を覗き込んでいた。
 操縦席にいたのは子供だった。十五、六歳の少年。赤色のパイロットスーツを着て、ミラージュのエンブレムの入ったヘルメットを被っている。
 少年は気を失って、ぐったりとシートにもたれかかっている。バイザー越しに顔を覗くと、まるで悪夢にうなされているように汗だくだった。

「こんな子供を熾天使に乗せるとはな」

 フートの隣で、白いパイロットスーツ――これはクレストの標準兵装だ――を着たクルスが言った。
 28歳の訓練教官。兵隊というより殺し屋が似合う鋭い容貌と、いつも変わらない鉄面皮が特徴の男。
 クルスは右手に持っていた拳銃を腰のホルスターに戻し、熾天使の操縦席の中に入っていった。

「なぁ、変じゃねえか? 隠匿してておおっぴらに警護できなかったにしても、熾天使とこのガキだけオールドコートに置きっぱなしってのはよ」

 セラフを動作不能にした後オールドコートを二人で調査したのだが、中には誰もおらず機械の類も何もなかった。あそこには熾天使と少年しかいなかったのだ。

「武装決起を取りやめて降参する気になったんだろ」

 少年のヘルメットを脱がしながら、クルスが適当なことを言ってくる。

「まだ24時間も経ってねえってのに、そんなわけあるかよ」

 ミラージュがセラフの独占を宣言したのが昨日の12時。
 グローバルコーテックスの仲介を受けず、7機目のセラフを発掘者たるミラージュが接収、これに従わない企業は武力をもって排斥する。
 当然クレストはそんな馬鹿げた行為に対して反発し、自分たちにセラフの"奪還"を命じた。

「そこらへんは調査部が解明してくれる」

 それも無責任であると思えたが、それ以上に有効な手段は他に浮かばなかった。
 ぺち、ぺち、とクルスが少年の頬を叩いている。

「かなり衰弱してる。サレナに言ってメディカルパックを貰って来てくれ」

「……へいよ」

 他に言うことが思いつかず、フートはクルスに言われるまま操縦室にいるオペレータのもとへ向かうことにした。格納庫に横たわっている熾天使から飛び降り、機首側にあるドアへと歩って行く。
 ドアノブに手をかけた。その時、

「どういうことですか!」

 ドアの向こう側から、オペレータの怒鳴り声が聞こえてきた。
 驚きと怒りが入り混じった彼女の声音に、フートはただならぬものを感じてドアを開けた。

『もう一度言うぞ。そのセラフはフェイクだ』


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「宣戦布告……ですか?」

 宣戦布告。クルスはその単語を何か場違いなもののように反芻した。
 操縦席にはクルス、フート、オペレータのサレナがいる。彼らが見ているモニターには今回の作戦を立案したクレストの上官が映っており、渋面を浮かべた上官はクルスの言葉を受けてさらに顔をしかめた。

『夜明けと同時にグローバルコーテックスに通告があった。ミラージュは全企業並びにグローバルコーテックスに対して宣戦布告をする、とな。手始めとしてうちのAC工場が幾つか破壊された』

「あのセラフがフェイクというのは?」

『君らの報告を受けて判断した。セラフは囮だ。おそらくオールドコートに大軍をおびき寄せ、その隙に主要施設を破壊・占拠するつもりだったのだろう。それを未然に防いでくれた君らにはとても感謝し ている』

 上官は本当に礼を言っていると思えたが、クルスはそれを聞き流してさらに質問を続けた。

「何故、セラフを? 囮なら偽者でも務まるでしょう」

 ぴくり、とまた上官の表情が曇った。

「どこから話すべきか……」

 そう言って俯き、申し訳なさそうなため息をつく。

「今まで発掘されたセラフはオールドコートにて分解され、グローバルコーテックスに送られていた。つまりミラージュの技師が細部まで分解し、その仕組みをじっくり見てきたというわけだ。無論彼らは それを図面に書き起こすことも出来ただろう。そしてその図面に沿ったものを組み上げることも」

「つまり、ミラージュはセラフを量産出来ると」

「ああ…そういうことだ。確認できるだけで十二機のブラックセラフがミラージュの手にある」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 七機目のブラックセラフが発掘された翌日、ミラージュが武装決起した。
 七機目のブラックセラフが撃墜された今日、ミラージュが宣戦布告をした。
 現れた十二の黒き翼。幻影を纏う黒き熾天使。
 顕現した幻影は、果たして世界に何を見せるのか。
 戦火は続いていく。いつまでも輪のように続いていく。そして無限に広がっていく。







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